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日本は昭和40年代から高度経済成長に向かってまっしぐらに突っ走り、バブル崩壊を機にグローバル化にさらされた。そこにあったのは「義理・人情」や日本独特の「人間の連帯」と真っ向から対立する考え方だ。何もかも効率を上げ合理性を追求する。そうなると、人のことを思いやる余裕などなくなり、結果、自分しか考えない自己中心主義に陥っていった。こういったことが何をもたらすか。お互いが打算的になり、自分にとってプラスかマイナスか、都合が良いか悪いかで判断し、これをもとに戦略を立てたり行動に移したりする。そのうち、人間は自己主張の強いエゴイズムに陥りやすくなる。自分の考えは正しいが、相手の考えは正しくないと思い込む。ここまでくるとやがて人間は謙虚さを忘れ、傲慢になっていくしかない。いまや都会のビジネスの世界ではこのような状況は当たり前になっている。
自己主張が強くなるあまり、人間の連帯がなくなる―。これは一面では個人個人の価値観の多様化から来たとも言えるし、これはこれで決して悪いものではない。人間にはいろいろな考えがあって当然である。最近よく議論される「価値相対主義」という言葉がある。「あなたはそれがいいの?」「私はこれがいい」よくある選択の場面だが、ここで問題になるのが「なぜそれがいいのか」の論議がないまま、各人各様が好き勝手に価値観を選択していくことだ。言い直せば縦並びの価値観「善し悪し」をないがしろにして横並びの価値観である「好き嫌い」だけを重んじる風潮である。グローバル化した「市場原理」がこういったことを望むのであれば、当面これを受け入れざるを得ないだろう。
しかし、そういう合理性を追求する社会のすべてが望ましいと考えるならば、わが国はさらなる無様と不幸を招来するしかないだろう。というのも、これまで日本人は他国とは比べられないほどのさまざまな自然災害に出合ってきた。が、その都度それを克服するために長年培ってきたのが「人間の連帯」なのだ。つまり「共同体原理」と言っていい。これらは結婚、家族、学校、地域、社会、国家という絆の領域にまで及んでいるのだ。実は、この「共同体原理」は合理性・合理主義では決して説明できず、非合理主義によって支えられてきたものだ。これが失われれば必然的に、その根源である「倫理観、道徳観」までが失われるようになる。残念ながら、いまの日本人、とりわけ都会人に「挨拶、礼儀、秩序、規律、正義感、親切心、言葉遣い、思いやり」が理解できない人たちがいるのが現実だ。この千年に一度と言われる東日本大震災の映像を見て、世界が感動・称賛したことを日本人は決して忘れてはならない。都会に住むわれわれは、東北地方の方々が営々と受け継いできた「日本人」をもう一度じっくり考え直してみてはどうだろう。 かつて哲学者カントは「元々、人間は非社会的な存在である。それだけに、社会的な存在とならねばならない。そこで、初めて社会という存在が生まれるのだ」と語っている。
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